熊本地震を乗り越え…

2021.01.01

Q.女性初の実行委員長、そしてとても大変な年だったという事ですが。

A.委員長をやることになったのは、第4回の実行委員会の副実行委員長が中高の先輩で、第4回の式典から手伝いをしたのがきっかけでした。その引継ぎの際に「これ見れば全部分かるから!」っていう大きいファイル2冊と、三益式に関する様々な情報が入ったUSBなどを頂いたんですが、その引継ぎと顔合わせを兼ねた食事会の最中に熊本地震(前震)が起きました。その場で詳しく聞く事も出来ずに私達の代が始まってしまいました。

Q.そんな大変な状況に加え、その情報だけでやれると思いましたか?

A.いつ何をしたとか、こういう時はこうしたとか、使われた書類やデータもあったのである程度はできると思ったのですが、まず状況が状況なので人が集まらない。それぞれが自分の事で精一杯。私自身もお店が営業できない状況になってしまったので、自分自身もそれどころじゃなかったですね。そこからは三益式っていうのはパッタリ。頭にもなかったです。その書類とかを持ってたのも私だったんですが、全然動けずとにかく仕事に集中してました。それでやっとメンバーと三益式をどうするかの話し合いをしたのが確か夏くらいだったと思います。ただ、その人たちも街中で飲食店を経営してるとか、三益式をSNSとかで知った人も天草から来てくれたりしてたんですが、みんな地震でそれどころじゃないってなって委員会から離れざるをえなくなったり。それで結局残ったのが4人?くらいでしたね。でもその中で少し揉め事というかいざこざがあって、残ったのは私ともう一人の2人でした。それからはまた三益式が宙に浮いた状態になってしまいましたが、歴代の方達や、今まで協賛していただいた企業の方達からどうにか続けて欲しいと説得されて、決起会みたいな形で興味のある人を集めて、また0からやっていこうという話になり、先代の方々も最大限手伝ってくれるという事で動き始めました。

Q.そこからおよそ5ヶ月くらいしかなかったという事ですが、それでも1月3日にやろうと思いましたか?

A.やっぱり「1月3日三益式」っていうのを伝統にしたい気持ちが代々あられたので、日程を変えるつもりは無かったですね。メンバーも2人しかいませんでしたが、先代の方々が周囲の人に声を掛けてくださって、保育士をしてる6人の女の子(もちろん同い年)と、男の子が2人加入してくれました。パソコンができる人もいたし、色々と動けます!って人もいたし、すごくタイミングよく集まってくれたので「じゃあ…(やれるね)」みたいな(笑)それでもみんなも仕事があるので、仕事終わりとか、私もお店のオープン前とかそこ1〜2時間とかで動いて、あとはLINEで連絡を取り合って進めていきました。協賛も地震の影響でどこにも貰いに行けないから、そこでも歴代の実行委員の先輩方に協力していただいたり、今まで縁のあった企業には頭を下げて協賛を頂いたりして、その状況下で出来るだけの範囲でやりました。あと、代々やられていたと思うんですが、ちかけんさんの「竹あかり」も保育士のメンバーが作りに行ってくれたりしました。本当に一人じゃ出来なかったなと思います。

Q.そんな困難を乗り越えてからの当日、いかがでしたか?

A.正直本当に当日はほとんど記憶がないですね(笑)前日(1月2日)もお店は営業してたので、営業終わりに寝ずに準備して、着付けして、キャッスルに入って、来賓の方々や司会のキムカズさん(※)に挨拶をして回ったり。なので来場者の人たちとゆっくりお話をする時間とかも無かったですね。あと、式典が始まって壇上で挨拶する時に、全部覚えていったつもりだったんですけど、途中で全部真っ白になって10秒くらいシーンとしちゃう瞬間もありました(笑)目の前にはお世話になった来賓の歴代の先輩方がいて、目が合ったりして、どうしようって(笑)なんとか思い出せたんですけど後でキムカズさんに「よく思い出せたね」って言われました(笑)本当に目まぐるしく終わっていきましたね。なのであんまり覚えてないです(笑)でも式典自体は歴代の三益式にも劣らない内容で行うことができました。その時のメンバーとは今でも交流があって、その場ではじめましての人たちばっかりだったんですけど、今でもSNSで繋がったり、食事に行ったりする人もいます。5ヶ月くらいの間でしたが、本当に先輩方やみんなに助けてもらいながら出来た式だと思います。達成感と周りの方々への感謝はすごかったですね。実行委員としては、今までの伝統や人と人との繋がりを途絶えさせることなく成し遂げられたのでやって良かったと思っています。
(※)木村和也さん。RKK熊本放送のアナウンサー。

Q.参加を迷っている人にメッセージをお願いします。

A.私自身も委員会のメンバーと知り合えたから言えることなんですが、新たな出会いはきっとあります。三益式、そして地震から4年経ちましたが(取材時)、あの時支え合いながら、協力して頂きながら1つのものを作り上げられたのは、たくさんの人と出会うことが出来たからだと思います。私達の時は地震、今度はコロナと水害など苦しい状況で、今会わないと次にいつ会えるかわからない、もしかしたらもう2度と人生で交わることはないかもしれない、っていう人とも再会出来る式典だとも思います。頭のどこか片隅に「あいつ何してるのかな?元気かな?」とか思い当たる人がいればもしかしたら再会出来るかもしれませんし、もしそんな人はいないっていう人でも、私がそうだったように、現在か、それともこれから先の人生で必要な人に新たに出会えるかもしれません。SNSで簡単に繋がれる時代ですが、こうやって実際に同級生が集まる式典は三益式ぐらいだと思います。ぜひこの機会を逃さないように参加してみてください。

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